SFびと 昭和からの来訪者

我が家に溜まったガラクタども

無題

「風立ちぬ」を見た

予告編を劇場で見ていたので、僕の望んでいるような飛行機モノではないだろうということは分っていた

せつない、

 

むかし、結核は不治の病だった。いいえ過去形ではないね、今でも亡くなる方はいるから。でも、距離感は今とはまったく違っていた。僕らの腕には、BCGの跡が、割りと大きく、見える形で残っている。そんな世代の感想だ。

 

僕の父の仕事は建設業関係で、あるとき連れて行かれた現場は「療養所あと」だった。待つことに飽きて、そこらをぶらついている僕は燃やされたゴミの中から白い封筒を見つけたが、拾おうとしたとき母に止められる。

なにせガキの記憶だ。勘違いや間違いかもしれない。

だけど、後に「結核で療養中の患者の手紙が燃やされていた」というイメージとして固定された。せつない感情と一緒に。

あれに関して、いろいろな想像を巡らせることは出来る。手紙を受け取った人は元気になったのだろうか。いや、手紙が燃やされる意味を考えろ。でも「療養所あと」って、何年前の話だろう? ではいつのゴミだ?

 

子供が想像することなので、真偽の程度はそれなりと思っていい。ただ、子供でさえ、そんなイメージを持つ、「結核」との距離感。

あの夕刻の燃えかけた封筒の「せつなさ」が蘇える映画だった。